「不要不急」という言葉について考えてみた話
緊急事態宣言が解かれて、京都も少しですが、車や人の往来が増えてきたように見えるこの頃です。焦らず、ゆっくりと以前の賑わいを取り戻して行けたらいいな、という思いと、観光や宿泊、飲食業界などの非常に厳しい状況に、何とも言えない先行きの不安も感じます。
さて、毎日のように様々なメディアで目耳にする「不要不急の〇〇を控え…」というフレーズ。これに違和感があって、聞くたびにモヤモヤしていたのですが、その理由を少し考えてみました。ちなみに「自粛の要請」という言葉も非常にモヤモヤします。
四文字熟語みたいに語られるけれど、不要と不急は別にセットではない
日々の生活を顧みた時に「不急」はあるけれど、「不要」なものって、そもそもないんじゃないの?と思います。(仕事的には急ぐことばかりで、緊急とか火急とか超特急とかの勢いで日々忙殺されているわけですが…、それはちょっと置いておきます)そして、例えば今回の緊急事態宣言のような状況下において、予定を延期したり自粛したりと、文字通り「不急」扱いにしたものやことが、実は自分を一番癒してくれたりするのかな、とも思います。「必要」だけど「不急」、だから後回し、だけどやっぱり「必要」、だから無いと辛い。
例えば私が後回しにしたものと言えば、友人との会食、楽しみにしていた展覧会、実家への訪問や、季節の花を見に行くお出かけ、観劇等で、この数か月ずっと後回しになったままです。そして、その状態が続いていることで結構精神的に辛くなってきています。こうして考えると、人の幸せって不急で出来ているような気がしてくるのですが…。みなさんはどうでしょうか?