悲しい存在
暖かい日が続いた秋も終わり、そろそろ本格的な冬が到来したようですね。
朝晩はピリッと冷え込むこの頃ですが、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。
さて、繁忙期なもので公私ともに脳みそ渋滞気味なため、なかなかブログの神様が降臨せず、締め切り間違でかなり焦っていたのですが、先日のニュースを見て感じたことを綴ろうかと思います。
ご存知の方も多数いるかと思いますが、ニュースの内容は30代の男性数人で知人をいじめた(?)の末に、自殺に見せかけて死に至らしめたことにより逮捕された、というものでした。
まず、このニュースを聞いて最初に感じたことは『30代でいじめ????どういうこと?』でした。
このブログを書いている時点では、まだその後の詳細は発表されてはいないのですが、もし報道されているとおり、本当に30代のいい大人数人が寄って集って『いじめ』にエネルギーを費やしていたのだとしたら…かなり疑問に感じる事案でした。
30代といえば、世間的にはまだまだ若い世代といえども、10代や20代とは異なり、恐らくそれなりの知識や経験もあるでしょうし、ともするとそれなりの財力だってあるかもしれません。
自分の望む環境や希望の道を叶える術や力、また自身の人生を謳歌する術や力も、この恵まれた日本でいる限り、携えることだって可能なことだと思います。
それがこんな誰得な、いじめなんてものにエネルギーを注ぐとは…と、とても悲しく感じました。
もちろん、いじめのターゲットになった被害者の方には心の底から気の毒だと感じていますし、本当に悲しい結末だと思っています。
なので、1ミリだって被疑者たちを擁護するつもりは決してないですし、もし被疑者たちが極刑に課せられたとしても一片の同情の余地だってないと思っています。
ですが、同時に今回の被疑者たちは、その時、心から幸せだったのだろうか、こんな最悪な結末になる前に、一人でも己の幸せを振り返ることが出来たならば…と考えてしまいました。
こんなことにエネルギーを注いでしまう彼らは、只々、痛々しく、悲しい存在だと感じました。